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プトゥ・アユ・ノビトリィ・アリアニー - 人々に希望を与えて

ヤヤサン・シプタ・マンディリは、インドネシアのボゴールにいる恵まれない人々に、いい雇用先を探せるよう実践的スキルを教えています。

 

今回Human Asiaは、この素晴らしい非営利団体を営んでいる2人の女性の中の一人、プトゥ・アユ・ノビトリィ・アリアニー氏に独占インタビューを行いました。

 

組織のきっかけを教えて頂けますか? YCMを始めようとしたモチベーションは何だったのですか?

プトゥ・アユ:2000年に、家庭教師をしてい男の子と女の子の母親であるドイツ人のゲシーン・ニツシュケという女性に出会い、その際に、お互いをよく知ることができました。

その女性とお話してる際に、ボゴールという私が住んでいて、ゲシーンの家族も以前住んでいたことがある町にいる若い恵まれない子友達にとって人、生を良くする機会がどれほど限られているかに気づきました。そして2002年に、そこにいる若い人達に教育をするという小さなプロジェクトを始めることに決めたのです。案としては、“Rumahoembinaan”と呼ばれる、若者の育成のために家を作る事でした。

首都ジャカルタが隣にあるボゴールは、ジャカルタと同様の問題を抱えています。たくさんの子供たちが貧しい家庭で育ち、若くして将来への希望を失い、一生家族や近所の人と同様な暮らしをすると思ってしまい、大人になっても低賃金な仕事を持ち、貧しいままだと思ってしますのです。それが理由で、多くの若者は町をさまよい、強盗犯になったり麻薬に手を出してしまいます。そこで、私たちは代替教育システムといって、若者が低賃金での職を手に入れたり問題児になる前に教育するのです。私たちの希望としては、その子達が夢をかなえ、貧困のサイクルから抜け出せるようになることです。現在は、夢の家と呼ばれる家があり、そこでは若者に夢をおおきくもつよう勧めているのです。

 

組織が支援している若者のことをもっと教えて頂けますか?

プトゥ・アユ:私たちは主に恵まれない家庭で育ったり、崩壊した家庭にいる若者を支援しています。さらに、障害を持っている若者の手助けもしています。障害をもっている若者たちは、通常は耳や精神的障害を持っている人のための特別学校を卒業していますが、残念ながら卒業後は何もできず、家にただいるだけなのです。

彼らを教育するためのスキルは私達にはありませんが、彼らと交流することは可能です。ですので、私達の希望としては、彼らが彼ら自身のビジネスを始めたり、私たちが最近始めたSOLA Kreatifメディアという起業に参加してもらう事なのです。

 

組織が提供している教育について詳しく教えて頂けますか?そして実践的スキルを学ぶプログラムについても教えてください。

プトゥ・アユ:組織が始まってから、普通の学校を作ることは目指していませんでした。学校を作るより、進展や夢に向かえる家を作りたかったのです。

インドネシアの教育システムには、何かが欠けていると気づきました。インドネシアの若者は、将来大人になった時に実践的に使える何かを学ぶ必要があるのです。インドネシアの教育システムを悪く言うわけではないのですが、現実的に試験や宿題、そして暗記することがたくさんあったり、理論的なプログラムが多すぎます。

そのおかげで多くの若者は幻滅し、結果として教育を受ける意味が解らなくなるのです。例えば、YCMで英語を学ぶときは、英語でどう交流できるかを目的としていますよね。しかし、多くの公共の学校では、英語の授業は倫理や文法に焦点を置いているので、結果多くの生徒はあきらめ、英語での交流は出来ないで終わるのです。これは、英語だけでなく他の教科にもあてはまります。

Putu_YCM_Indonesia3

YCM学校に通っている子供たちの将来にどんなことを期待していますか?

プトゥ・アユ:私たちの組織に参加した若者には、いづれは世界的コミュニティーの一員になってもらえると期待しています。彼らには、将来を直面する勇気を与え、人生を変えれるようになると思っています。そして良い職に就いたり、人々のために仕事を作る立場にもなってほしいと願っています。そうすれば、ポジティブな影響を、彼らの家族やコミュニティーに与えることができるからです。

 

組織として、現在直面している困難と、将来直面するであろう困難は何か教えて頂けますか?

プトゥ・アユ:もちろん私たちはたくさんの困難に直面します。正直に言うと、資金集めが一番大きい問題です。私達は、無償で若者を教育したり活動させたりしているので、参加者からの収入は全くありません。代わりに、日々異なる額の寄付金に頼っているのです。そおれと同時に、組織の参加者や活動が日々大きくなるにつれ、より多くの資金が必要となってきています。他には、人事の問題もあります。あまり多くの人は、組織のために貢献したいと思っていないからです。

もともと組織での生徒だった子たちがスタッフとして働いてくれていますが、予算の問題によりあまり良い給料を払えていません。ですので、彼らの家族は、他で職を手に入れるよう提案するのですが、彼らは良い職を手に入れられるためのスキルはもっていなく、私たちがはじめに防ごうとしていた、賃金のとても低い職を最終的に手に入れる可能性もあるのです。

将来的には、今説明した問題を解決できるプログラムを作れない限りは、似たような問題が残ると思っています。

 

人々は、どのようにYCMを支援することが出来るでしょうか?

プトゥ・アユ:いろんな方法で支援頂けます。寄付をしたり、ボランティアとして働いたり、新しいプログラムを作るためにアシストして頂けると大変たすかります。YCMの存在は、多くの人々の支援にとても頼っているのです。

 

あなたの子供時代と、持ってた夢を教えて頂けますか?

プトゥ・アユ:私は、いたって普通な家族に2人の弟をもつ長女として生まれました。父は、私が9歳の時に他界しました。ですので、母は家庭を保つためにいろんな苦労をし、私は長女として、多くの責任を負っていました。母と肩を並べて頑張り、世界を相手に戦っていました。ある時、仲いい友達が板チョコレートを食べているのを見たとき、私は夢を描き始めました。当時は、家庭を保とうと一生懸命頑張っている母にチョコレートを買ってほしいなんて頼むことは絶対にありませんでした。

でもその時から、成功という意味もあまり理解していなかったのですが、欲しいだけのチョコレートが買えるようになるまで成功すると誓いました。それがわたしを長い間動かしているのです。

夢をかなえるために、とても集中していました。大学まで教育を受けるのは不可能に思えたのですが、大学へ進学もしました。高校生時代は、私と同様な環境に育った同じ世代の子が、ストリートワーカーとして働いているのを見て、いづれは若者に役立つ場所を作りたいといつも夢見ていました。
Gesine and Putu_YayasanCiptaMandiri_Indonesia_2

YCMを始める前は、どのような活動をしていたのですか?

プトゥ・アユ:大学にいた際、ジャカルタとボゴールに住んでいる外国人を相手に家庭教師として働き始めました。

ゲシーン・ニツシュケさんにあったのもその時でした。2001年の1月に、私の母は初めての脳卒中を経験し、2015年11月に他界するまでずっと体麻痺の状態でした。

大学での試験の数日前だったのを覚えています。一番上の子供として、麻痺状態の母と弟たちの面倒をみる責任をすべて負う必要がありました。インドネシア大学で、科学の学位を取って卒業した後は、正式な職業に就くのではなく、フルタイムで家族と母の面倒を見ることに決めました。

2002年に、ゲシーンとともに若者について同じビジョンを分かちあった際、英語とパソコンの知識を、地元に住んでいる若者に教えれる小さい学校を作ろうと決めました。

混雑している地区にあった家を借り、小さかったのですがやっと私自身の家を家とは違う地区で持つことができました。“ドリーマー”として、夢を叶えるまでとても意欲的だった私は、一つ一つ叶えていったのです。これが、他人を動機づけることによって私も動機づけられるため、私がいつも他の人々に伝えるお話です。

あなたの人生の原則は何ですか?

プトゥ・アユ:私にとって人生は旅であり、旅を通してやり通したいことが3つあります。1つ目は、オープンマインドを持っている人々全てから、出来るだけの事を学ぶこと。2つ目は、自分が決めたものや選択したものに対し、出来るだけのことをすること。そして3つ目は、他人に役立つことです。私にとっての人生で最大の目標は、他人の夢が叶うのをアシストすることです。

そして私の人生の原則は、強く私の行動に影響を与えています。学ぶことと同様に、人々とシェアするのにとても熱心です。そして3つの原則は、背景や人種、宗教など関係なく、たくさんの人々と仲良くさせてくれています。ゲシーンとの友情は、その原則を実際に適用した証拠となっています。

 

人々を助けるために非営利団体を始めたいと思っている人へ、アドバイスをお願いできますか?

プトゥ・アユ:非営利団体を始めたいと案を持ち始めたら、まずは自分自身で出来る簡単なことを始めるべきです。自分自身に、何故始めたいのか、そして何ができるかを問いかけるのです。そうすれば、世界は、同じビジョンを持つ人々に合うのを助けてくれるでしょう。

ゲシーンと私は、お互い全く違った世界の出身ですが、お互い同様のビジョンをシェアしている相乗効果を構築できています。

一番大事なのは、本当に望んでいれば、誰にでも可能だという事です。私は裕福でもなければ、裕福な家族出身でもありません。でも、何かを実際に始めれば、何らかの形で助けはきいます。また、始めることは、あなたが本当に興味があり熱心的なものである必要があり、助けたいと思っているコミュニティーが日々直面している困難や問題への対処であるべきです。

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